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東京ディズニーランド&ディズニーシー大好きブログ

2016年、東京ディズニーランド&ディズニーシーの混雑状況が分かるアプリの紹介やグッズやストア、ホテル情報までディズニー大好きのルナが感想を交えお届けします。

ウォルトディズニーはどんな人?名言は? [ウォルトディズニー]

ディズニーに住みたいくらいディズニー大好きのルナです!

今日のテーマは、「ウォルトディズニーはどんな人?名言は?」です。



いつもこのブログを読んでいただきまして、ありがとうございます!

ミッキーマウスを世界中の人気者にし、「白雪姫」など多数の映画を大ヒットさせ、そしてディズニーランドを創設したのはウォルトディズニーですが、実際にウォルトがどんな人なのか、今まであまり気に留めたことがありませんでした。もっと知識があった方が余計にディズニーを楽しめるのではないか。それから、ウォルトはとてもいい言葉をたくさん残しているのですが、それを知っておくことも、目標を達成したり、人生をより豊かにしたりする上で大変役に立つように思えました。

そこで今回は、「ウォルトディズニーはどんな人?名言は?」と題してお届けしたいと思います。どうぞ最後までお付き合いくださいね。

ウォルト・ディズニー.jpg

ウォルトディズニーはどんな人?


一言で言えば、ミッキーマウスを生み、世界初のカラー長編アニメーション「白雪姫」を作り、ディズニーランドを建設するなど、次々と偉業を成し遂げて、エンターテインメント界に変革をもたらした巨人。

20世紀で最も有名なエンターティナーであり、事業家のウォルトディズニーは、1901年12月5日にイリノイ州シカゴで、貧困家庭の四男として誕生しました。ウォルトが4歳の時、一家はミズーリ州マーセリーンの農場へ引っ越し。過ごしたのは4年のほど。ここでウォルトは、動物と田舎暮らしへの愛情を育み、生涯にわたって抱き続けました。幼少期の体験がその後の人生を決定づけるということはよくありますが、ウォルトもそうだったのですね。

その後、カンザスシティから再びシカゴに引っ越して高校に入学したが、第一次世界大戦の際自ら志願して、赤十字の救急部隊の兵士としてフランスで従軍。1919年に帰国したウォルトは、高校には戻らずに、学校よりも現実の人生経験から学ぶことを選び、自分の人生を切り開いていきます。

アニメーションを作り始めたウォルトは、1923年にハリウッドで会社を設立し、「アリス・コメディー」と「しあわせウサギのオズワルド」のシリーズを製作。しかし、オズワルドの版権をめぐる金銭トラブルから配給会社と絶縁し、新しいキャラクターを生み出す。それがミッキーマウス。

1928年に公開されたミッキーのデビュー作「蒸気船ウィリー」は大ヒット。これは、映像と音がシンクロした世界初のアニメーション。ミッキーの短編シリーズで、プルート、グーフィー、ドナルドダックなどの人気キャラクターを世に送り出し、その後、長編アニメーションを製作することを決意し、1937年に公開された「白雪姫」は大ヒット。映画史上最高級の興行収入を得ました。これに続き、「ピノキオ」、「ファンタジア」、「ダンボ」、「バンビ」という名作で世界中の人々を魅了。

しかし、1939年に始まった第二次世界大戦により打撃を受け、アメリカが1941年に参戦してからは、軍にスタジオを接収され、長編アニメーションの製作は頓挫。ようやく戦争が終結を迎えましたが、苦しい時期は続き、その間、ウォルトは、短編を集めたオムニバス作品やドキュメンタリー作品で乗り切りました。

その後、「シンデレラ」、「ふしぎの国のアリス」、「ピーターパン」、「わんわん物語」、「海底2万マイル」のヒット作を連発し、ディズニーと言えば「ファミリー・エンターテインメント」という地位を不動のものとしました。

そして、いよいよディズニーランドの建設。ウォルトは、1952年にそのための会社「WEDエンタープライズ」を発足させ、1955年7月17日にロスアンゼルス近郊のアナハイムにディズニーランドをオープンさせました。ウォルトの構想について多くの批評家は、「映画スタジオが遊園地など正気の沙汰ではない」、「お金の無駄遣い」と酷評しました。しかし、人々の心に訴える新しいパークを作れるというウォルトの確信は正しいことが証明されました。なんと、オープンしてたった7週間で100万人の来場者数を記録したのです。

ディズニーランドは、子どもだけではなく大人も楽しめる未だかつてないパークとして多くの人に愛され、ウォルトが標榜していた「ファミリー・エンターテインメント」を見事に体現しました。

この成功に続いて、ウォルトは第2のディズニーランドを作るために、気候が温暖なフロリダに秘密裏に広大な土地を買収し始めました。そして、1971年10月1日に「ウォルト・ディズニー・ワールド」がオープンしました。しかし、残念ながら、ウォルトは、1966年12月15日に肺癌のため亡くなっため、夢の実現を見ることはできませんでした。

アナハイムのディズニーランドがオープンしてから28年後に、ディズニーランドは初の海外進出を果たしました。それが東京ディズニーランドです!

ウォルトは、ディズニーランドを「人を幸せにする場所」と位置づけ、自らの理想や夢を詰め込みました。そして、この考えはディズニーランドのDNAとして脈々と受け継がれているのです。

ウォルトは、可能性を広げる冒険心と独立心に満ち満ちて、鋭い眼識で成功を勝ち得た人と言えるでしょう。そんな彼が残した言葉には滋味溢れる教訓があります。次にそれを見ていきましょう。


ウォルトディズニーの名言は?


ディズニーランドは永遠に完成しない。世界が想像力を失わない限り、進化し続けるのです。

映画はいったん完成したら、もう作り直すことはできません。でも、パークは常に手を加えることができます。成長し続け、永遠に完成しないまるで生き物のようなものだとウォルトは考えていたのですね。ウォルトならではの名言です。

ですから、ディズニーパークは無限の可能性を持っていて、現状に満足することなく、ゲストをより幸せにする場所として永遠に進化し続けるわけです。その表れが新しいアトラクションやキャラクターなど。

このウォルトの精神は、これからもおそらくずうっと引き継がれていくことでしょうね。ここにディズニーの凄さがあると私は感心してしまいます。

人生で経験したすべての逆境、トラブル、障害が私を強くしてくれたのです。

私も含め、多くの人は、できれば自分の人生に逆境やトラブル、障害なんて起きないで欲しい、そんなものが起きたら逃げ出したくなると思っているのではないでしょうか?本当は順風満帆が理想ですよね?

でも人生は決して甘くはなく、常にそんなにうまくいくとは限りません。自分にとって色々と不都合なことがたくさんあります。

「雨風は材木を強くする」という格言があります。人間もきっと同じで、逆境に晒されることによって強くなるのですね。逆境やトラブル、障害だけが永遠に続くことはありませんが、それらに屈してしまうと、余計に厳しい試練となって次々と目の前に現れてしまいます。

ナポレオン・ヒルは、「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種子が含まれている」と言っていますが、まさに「ピンチはチャンス」で、逆境があるからこそ、さらなる飛躍の可能性があるということなのでしょう。

逆境に遭遇したからといって、「もうこれで一巻の終わりだ」と諦めるのではなく、逆境とは「いったん立ち止まって解決策を考えろ」という示唆であり、ウォルトのこの名言はまさにそのことを実践した結果と言えるでしょう。なかなか簡単にはできないことですが、肝に命じたい名言です。

私たち一人ひとりが、それぞれの人生の主役です。そして望むものを手にしたいのなら、助け合う仲間が必要なのです。

自分の人生があまりうまくいっていないとき、人は、うまくいっている人と比べて、「自分の人生があの人みたいだったらなあ」と羨ましがったりするものではないでしょうか?誰にでも、そんな時期があるのかもしれません。

「あの人みたいにお金持ちになって、もっと広くて豪華なマンションに住みたいなあ、いい車に乗りたいなあ、年に4回くらい海外旅行に行きたいなあ」とか、私もしょっちゅうあります(笑)。

でも、当たり前ですが、別の人の人生を生きることはできないのですね。そんなのは、漫画や映画の世界。現実には、誰もが自分の人生を生きているわけです。そして、ウォルトが言うように、それぞれの人生の主役です。人生における役割も、その人その人で違っていいですし、それが当然ですね。やはり、人は自分の人生を主体的に生きることによってしか、成功や幸福というものを得ることはできないのではないでしょうか。

そして、何をもって成功や幸福というかは本当にその人それぞれだと思いますが、ほとんどの場合、たった1人で手に入れることができるものではありませんね。ウォルトのこの名言が言う通り、協力してくれる仲間が必要になります。自分だけでは達成できないことも、仲間の協力があれば達成することができます。

そうすると、普段から人と人との関係を大切にし、良き仲間を持つことが大事だということがわかります。そのためには、まず自分から協力してあげることが必要なのでしょうね。そうすることで信頼関係が生まれ、仲間と呼べる人が増えると思います。

成功している人や幸福な人というのは、たいてい「仲間がいてくれたから」と言います。ウォルトのこの名言のように、そういう仲間とともに、不可能と言われた夢を実現できたら本当に素敵だと思います。

叶え方さえ知っていれば、手の届かない夢なんてそうあるものじゃないんだ。僕にとってその秘訣は次の4つに集約される。好奇心、自信、勇気、継続。中でも自信を持つことは何より重要だ。一度こうと決めたら、疑うことなく信じ、とことん信じ抜くんだ。

"夢の持てない時代"と言われますが、夢を持つためにはまずは好奇心が必要なのでしょうね。そして未知の領域に対して感心を持つためには勇気がいります。恐怖心を持ちつつも、それを克服して挑戦しようという気持ちが必要ですね。ただ気持ちだけあってもダメで、やはり行動が伴わないといけません。また、単発ではうまくいくわけがないので、継続も当然必要です。

これらを基礎から支えるものとして、ウォルトのこの名言のように、自信を持つことが最も重要なのでしょう。「自分にはたいした力がない。やり続けるなんてムリだ」と思ってしまったら、できることもできなくなってしまいます。私も含め、多くの人は自分で限界を設定しているのではないでしょうか。それでは本来の力を存分に発揮することはできません。

発明王エジソンは「もし人間が自分にできるすべてのことをしたなら、自分でも驚嘆するほどの偉業を成し遂げられる」と言っています。ウォルトはこれができたからこそ、「手の届かない夢なんてない」と心から思えたのでしょう。誰もが非凡な能力を持っているはずです。それに気づけば、きっと自分を信じられるはずですね。自分を信じることができればたいていのことはきっと成し遂げられます。たとえ、周りからは「そんなのは突拍子もない夢だ」と言われたとしても。

そして、自信を持って行動をし始めれば、その夢に大義がある限り、きっと共感者が現れて惜しみなく協力してくれることでしょう。そうなれば、夢は単なる夢ではなくなるはずです。

私の夫の友人にも、自分の故郷にディズニーランドに負けないような「ジブリワールド」を作るという壮大な夢を持っている人がいます。夫は、その話に痛く感銘を受け、できる限りの協力をしたいと思ったそうです。これが実現したら本当にすごいことです。仮にその実現に30年、50年を要したとしても。

最後までお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。

というわけで、今日は「ウォルトディズニーはどんな人?名言は?」というお題でお届けしました。


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